異論暴論

ヤマハがんばれ

ヤマハ楽器は実に偉大な会社である。

古くはピアノをスタインウェイに並ぶブランドに育て上げるために海外の多くのホールや奏者への協力姿勢をとって売り込み、エレクトーンでは機材・教材の壮大な蓄積を行いながら講師や検定といった底辺拡大の仕組みを構築した。
ウィーン流儀の楽器を奏者への徹底した献身で新たに作り上げ、ウィーンフィルで採用されたことは管楽器ブランドとしてのステータス確立に大いに役立った。

彼らのやることは構想が大きく徹底しており、一旦ユーザーになってしまうと、その恩恵のありがたさに身を流されるままの幸福な世界が広がるばかりだ。(金がかかる、という話はひとまず置くとして。)

そんなヤマハが近年力を入れている分野の一つが弦楽器なのはご承知の通り。

もともと以前から、多くのヤマハ音楽教室でヴァイオリンを教えてはいるし、サイレントヴァイオリンという実にユーザーニーズをうまく掴んだヒット商品も世に出てから久しい。
が、注目すべきは、いよいよ本格的なヴァイオリン製作が始まり、ヤマハらしい技術力をみせつけるカーボングラファイトのボウも市場を賑わせている、という、本気モードのビジネス拡大。そして、相次ぐ楽譜の出版だ。

ヤマハらしい総合的で腰の入った取り組みではないか。

で、私はヤマハにとても期待している。

われわれアマチュアアンサンブル弦楽器奏者にとって、とりわけなにがうれしいのかというと、カーボンの弓の性能をどうのこうのするのが酒の肴に最適だったり(みなさんも絶対この話題で2・3度盛り上がったことがあるでしょ?)、底辺拡大で愛好の同士が増えてくれたりとか、そういうこともうれしいのだが、やはりおいしいアンサンブル楽譜が大量に出版される気配が見えつつあるのが一番わくわくさせるところ。

思えば、かつてカルテットなどをやろうという物好きの人間にとって、最新の話題曲を弾くことは至難のワザだった。
国内には本格的に弦楽アンサンブル出版に腰を入れている会社はなく、ましてや欧米の出版社が日本で話題の最新曲を楽譜化するはずもなく、仕方なくエレクトーン(…これもヤマハの世界)用やピアノ用の楽譜を買って自ら編曲をした経験のある人も少なくなかろう。
それがどうだ、弦楽四重奏やアンサンブルの編曲楽譜は、その種類だけ見るともう立派に米国、英国とボリュームを競えるところまで増えてきている。
そして、ここにさらにヤマハの本格参入である。
つくづく良い時代になったものだ。

がんばれヤマハ。私達が驚くような秀逸な編曲譜をどんどん出版してくれ。

(→ヤマハミュージックメディアの弦楽合奏楽譜

やっぱり調性だよね、という話

アンサンブル曲の合わせ易さ・合わせにくさを決定づける要素には、いろいろなものがあり得る。リズムやテンポ指示の難易度、和声の複雑さ、音域、細かいパッセージ、などなど。
が、おそらくアマチュアにとって一番直接的に効くのはシャープとフラットの数、それも、楽譜の左側にずっと鎮座している楽曲本来の調性のシャープとフラットの数だろう。
シャープとフラットの数が多いと困るのは、音程の最も確実な拠り所である開放弦が使えなくなり、複数の奏者の間の音程関係がツボからずれ、また、音そのものの輝きが失せることだ。これは誰しも経験するところだ。
基準点が無いままに音程が合わないという状況は、連れの人間とはぐれてしまった時に両方で同時に捜してしまうようなもので、折り合いをつけるのはなかなかにたいへんだ。
個々の楽器のパッセージなどは、個人の練習でかなりの部分が克服できる。そして、難しいパッセージがちゃんと響くかどうかも、結局のところ、そのパッセージが置かれる音程関係、すなわちシャープとフラットの数で決まってしまう場合が多い。
奏者の実感としては、楽曲の難易度を測る上で決定的に重要なファクターは「やっぱり調性だよね」ということになる。
この話、少人数で口に出すと、たいがい全員で「そうだそうだ」ということになるのに、なぜかあまりおおっぴらに書かれたり語られたりすることがないというのが実に興味深い。
「いや、うちの団体では単純に調性の難しい曲はイヤだっていうことになってるよ。」という方。あなたはきっと、とても正直で、若干単細胞な友達ばかりに囲まれた、幸せな弦楽ライフを送っていらっしゃるに違いない。
疑り深い管理人など、シャープとフラットの数などという即物的な話に同調しない人は、なにかやせがまんでもしているんじゃないか、とまで勘ぐってしまう。
ところで、それではアンサンブルのラクさ加減という観点でいくとベストなのは、シャープ・フラットがひとつもない「ハ長調」になるのだろうか?
どうもそうではない、というのが音楽の不思議なところ。
気持ちの良い五度純正律をベースとした弦楽器の開放弦設定を前提に考えると、ハ長調における三度・五度というアンサンブルの基本音程では、それほど「気持ちの良い開放弦」が登場してこない。だいたいVnあたりはC線の開放弦すら持たないのであるから仕方が無いか。
また、ハ長調曲では、ソナタ楽章の第二主題や、中間楽章の主調に意外な調性が置かれるケースがままある。これは、プロの作曲家が「このハ長調曲は修行中の習作として書いたわけではありません」という意地で、あえて一般的な調性の飛び方を避ける心理が働くせいかもしれない。
が、しかし、それでも例えば変イ長調よりはハ長調のほうが弾きやすい、という大きい傾向にはなんら変わりはない。
というわけで、見知らぬアンサンブル曲の合奏難易度を測る最速の方法は「シャープとフラットの数」である、というシンプルな意見をあらためて強調してみたり。

アンサンブルを組んだらまず団体名

合奏をやろう、ある程度定常的にやろうというと、当然ながら練習日程を調整したり分担金決めたり、やらなければならないことがいろいろ発生してくる。
でも、ちょっと待て。
管理人としては、まずはとりあえず名前をつける作業を行うことを強くお勧めしたい。
これは、1回の公開演奏だけで終わるものでも、だ。

名前を決めるのは楽しい。
メンバーで集まって名前決めを打ち合わせると普段の仲間達の知られざるキャラやセンスが見られたりする。
英語でいくのかイタリア語でいくのか、はたまたフランス語? 和風にこだわって「○○演奏隊」といった案を持ち出して喜んでしまう人もいるかもしれない。
管理人の個人的経験では、社会人男性が主体で作ると、なぜかアルコール関連の単語やフレーズを推す人が多くて、困ったりする。

ともかく、このネタだけで一、二回飲み会ができる。
いや、そういうことで盛り上がらないタイプの人もいるのかもしれないが、そういう人には、名前が決まるまで待っていていただくしかない。
でも、そういう褪めた人でも、名前が決まると愛着がわいてきて、みんなで団結力が高まったりするから不思議だ。

名前決めには実用的な目的もある。公共施設を練習会場として使う場合、必ずと言っていいほど団体登録を求められる。ので、名前を決めないわけにいかないのだ。
管理人は、団体登録の時に名前が決まっておらず、その場で即興で考えた適当な名前で予約したところ、それがそのまま定着してしまった団体を知っている。
こういう不幸な状況にならぬためにも、とにかくまず第一に名前を決めるべきなのである。

開放弦を怖がらずに使ってみる

音階だったりキラキラ星だったり、初心者の内は開放弦バリバリで弾いたものだ。
が、そのうちさりげなくいろいろなポジションを駆使して大人の音色を奏でる隣の先輩に憧れつつ、「開放弦=初心者の音」というイメージが体に叩き込まれたりして。 実際、多くの人の深層心理に開放弦は「=忌むべきもの」という感じで定着しているのではないか。

大編成の中で大きな音に埋もれて弾いているようなときはともかく、自分の音が目立つシチュエーションでは、指が苦しくてもあからさまな開放弦は使いにくい。どうしても気恥ずかしさが先に立って、隣の弦の同音に逃げてしまいがち。
でも、開放弦は音程が安定していて、とても「使える」存在だ。
メロディーを担う奏者はどうしても音程が高めにいく現象がおこりやすいが、開放弦利用はこれを戒めてくれるし、近代曲の気難しい転調の嵐の中で頼れるアンカーの役目も果たしてくれる。
アンサンブルがうまく聞こえるかどうかは、まずは音程にかかっているわけだから、安全第一・音程第一で開放弦を極力使用するという手はアリだろう。

実のところ、古楽で開拓されたノンビブラートの効用を積極活用する流れや、大ホール対応のために奥ゆかしいハイポジションよりも低ポジションでのしっかりした音出し重視するという流れと関係するのか、プロの室内楽奏者達も、よく見ると非常に頻繁に開放弦を使いこなしてうまく曲を仕上げているようだ。

楽に安定した音程が得られるのは、奏者の精神面の負担軽減にも効果大。開放弦をもっと活用してみよう。

楽器代用を試してみる

額面上の楽器編成に拘りすぎて人集めがうまくいかないと、演奏のチャンスそのものを逃してしまう。そういう時のために、前項のCb追加の話以外のヒントを、若干邪道なものも含めてご紹介したい。
弦楽四重奏を大人数で
たくさんの優良な作品が揃っている弦楽四重奏曲は、ほとんどの場合、弦楽合奏として演奏することが可能。
これはかなり一般的な知恵だが、実際にはCbの追加方法など、それなりに工夫と試行錯誤が要求される。準備時間に余裕がある時でないと演奏としての成功は望めないことは覚えておきたい。
電子キーボード活用
ハープ、オルガン、チェンバロ、打楽器等、特殊楽器の多くは電子キーボードで代用することが可能。最近の楽器は本当に音質がすばらしい。
ソロのフレーズがあまり無ければ、コントラバス、チェロも電子キーボードで代用できる余地がある。
なお、キーボード本体のスピーカーだけでは音量不足となる可能性があること、電源が確保できないかもしれないことなど、本番会場での事前調整は必須。「あ、あれが足りない」と気づいてから、それを克服する時間が要るのだ。
いくつかパートが無くても気にしない
バロック音楽の通奏低音はチェンバロが必須ということになっているが、ほとんどの曲はチェンバロ抜きでも「弾いて楽しい曲」として成立する。
また、モーツァルトのディヴェルティメントなど、古典派以前の曲に含まれる管楽器は省略できる場合が多い。スコアを良く見て考えよう。(例えば、弦の他にHr×2本、Ob×1本を要求されている楽曲を、弦とHr1人だけで遊んでもさほど支障が無い可能性がある。)
さらにひどい話としては、一部の天才、異才作曲家を除くと、バロック・古典あたりまでは、Vaがほとんど音楽的に寄与していないような書き方をする作曲家は数知れず。ただ、Vaの場合は第3Vn設定という、子供の合奏団でよく使われる手間のかかる方法での対応のほうが正道かもしれないが。
指定人数に拘らない
小室内楽曲の演奏に際し、奏者の技量にかなりの差がある場合に弱いパートを複数の人間で弾くことは恥ずかしいことではない。むしろ、初心者に室内楽の門戸を開く良い機会になり得る。
曲目構成自体を変えてみる
5~6人以上の奏者がいてパート間が不揃いの場合には、無理に全員参加できる妙な編成の楽曲を探さず、部分的に降り番を作って複数の名作弦楽四重奏曲等に並行して取り組んだほうが楽しい。

コントラバスを足してみる その2

弦楽四重奏曲にCbを追加する、弦楽合奏化する遊びのおもしろさについては前項に開陳している通りだが、この「Cb隠し味」の遊び、実は他の編成でもおもしろいのだ。

弦楽五重奏以上の大編成については説明不要だろう。編成が大きくなればなるほど、むしろ「Cbを入れずに演奏することの不自然さ」が大きくなるとさえ言い得るのであり、例えばブルッフの弦楽八重奏のようにCbを入れることが半ば慣例化している曲だって存在する。
それよりも興味深いのは弦楽三重奏、二重奏のような小編成の曲でのCb追加だ。騙されたと思って挑戦されることをお勧めする。

例えば太公トリオにCbを追加してみよう。堂々とした曲柄に見合った深い響きが得られて、非常に興味深いものになる。
これ、実はCbとPfの相性のよさによる効果なのだ。
Pfもスチールの弦を叩いて音を出している楽器だからであろうか、低音域の音色の親和性には特筆すべきものがある。頭打ちをCbが手伝うとPf奏者のタッチが全体的に強靱になったかのような感じになるし、Pfで実現できない持続音がを音楽的に必要な場面でのアシストの効果も絶大だ。

反面、小人数編成の室内楽はソリスティックな要素がより強いので、重くしてしまったり、あまりに立体感が増して親密度が失せることのないよう、Cb側の音選びは大編成の時以上にシビアな感覚が要求されるかもしれない。

そういうことができる人がいるなら、ソナタのような二重奏へのCb追加にも挑戦したい。極端な例を紹介すると、管理人は以前、べートーヴェンのスプリングソナタにCbを追加してみたことがある。Cbの出番は決して多くはなりえないのだが、奏者も創造的な音の追加を楽しめ、ふくよかなサウンドが心地よかった。

また、2人~3人という小さい編成の場合でも、大きい編成での追加の場合と同様、現代ポップス曲では例外なく素晴らしい結果が得られることを付け加えておく。

印刷運指に忠実に練習しておくのも良いかも

多くの室内楽の印刷パート譜には、要所要所に指づかいが印刷されている。これ、みなさんはどう使われているだろうか?
頭がいい運指だと感心するものもあれば自分の好みと相容れないものもあって、けっこう無視をしてしまうケースも多いのではなかろうか?

でも、この印刷運指の通りに練習しておくと、なにかと便利だ。

アマチュアに多い室内楽の「場」は、メインにやる曲を事前に決めてあっても「まあ指慣らしから」とかなんとか言いつつ有名曲のさわりを弾き散らす、もしくは、メインさえ決めずに一期一会を楽しむ、というパターンだろう。
で、ありがちなのが、他人様の楽譜をその場で見て弾くという状況だ。当然、「印刷運指はこうだが私の運指はこうだ」と頭をめぐらせながら合奏できるほど弾き込んでいるケースは少ないので、印刷と好みが合わずオタオタする確率が増える。
そういう時に印刷運指で練習する習慣がついていると、これほど心強いものはない。

だいたい、同じ曲を何回も皆で練習する(ということになっている)ケースでも、そこはわれわれ非職業音楽家の弱いところ、毎回まじめに隅から隅までさらってから全員練習に臨む人ばかりでもないはず。結局、印刷運指から逸脱して練習していると、よほど細かく丹念に自分独自の指づかいをパート譜に記入していない限り、合奏のどさくさにおいては、またまた印刷運指に惑わされたりするのがオチだったりする。

もともと大手の出版社がわざわざ運指を書き込んでいるのだから、「たかが印刷運指、されど印刷運指」なのである。少々理不尽に見える運指も、実は深い工夫の成果である可能性は高い。
自分のフィーリングに合わないということは自分の指づかいの守備範囲が狭いということの裏返しでもあるわけで、そういう指づかいに敢えて取り組むことは、技量向上に資するところも大だろう。

有名作曲家の有名曲は、結局みんな同じ出版社の楽譜を持っていることが多い。最初はとっつきにくいけれど、印刷運指に徹底的に従って練習しておくのは悪くないのではなかろうか。

コントラバスを足してみる

ハイドンの初期の弦楽四重奏曲はCbの追加が許容されているという、よく知られたトリビアを持ち出すまでもなく、一般的に弦楽四重奏曲は、Cbを追加することに支障が無い場合が多い。
原典主義が骨の髄まで染み込んでいるクラシックファンには、感覚的についていけない世界かもしれないが、Cbの追加は広くお勧めしたい合奏遊びのひとつだ。

どう考えても4本で弾いたほうが味わいが深い曲もあるかもしれないが、品良く低音の補強に成功すると、曲は迫力とダイナミクスの幅を増して、陰影の深いゴージャスな音楽になる。
おそらく、ベースとドラムスがしっかり入った曲ばかりを日常生活の中で聴かされているわれわれ現代人にとって、宙に浮かんだコンパクトな音響空間よりも、腹に響くサウンドのほうが体が慣れているといったこともあるのだろう。

また、後期ロマン派の作曲家達が名作弦楽四重奏曲の弦楽合奏編曲に取り組んだように、これは決して一部好事家限定の特異な欲求というわけでもなさそうだ。それゆえ、自信をもってこの分野を探求してよいものと思うのだ。

低音の補強にあたっては、Cb奏者の音選びのセンスが問われる。大型の弦楽合奏曲のスコアを見ればわかるが、Cbの出番は限定的でこそ効果的なのであり、Vcが主旋律担当の場面で休む、単音伸ばしは頭打ちに変えるなど、我を抑えて全体のバランスに奉仕する精神が必要になる。
が、これは慣れてしまえば実に簡単。編曲といったおおげさな言葉とは無縁の小規模な調整だけで、たいがいはなんとかなるはずだ。

Cb追加は、現代ポップスのアレンジ物の場合に特に顕著に効果が出る。というか、ポップスは、人の手当てができる限り、必ずベースを入れておくべきだと断言できる。
ポップスの場合、Cbパートの追加は、「Vcパートの小節の頭打ちだけを弾く」ということで用が足りることが多い。ここでおもしろいのは、クラシック系のCb奏者の多くは、ジャズの弦ベースのようなピチカートの連続をひどく嫌がることだ。多分、ジャズの世界では常識的な奏法のコツを知らないのか、指の皮の鍛え方が足りないか、というようなことなのだろう。